「学ぶことをやめたら、教えることをやめなければならない」
1998年フランスW杯で優勝した、フランス代表監督エメ・ジャケの言葉だ。
2000年代前半、指導の勉強をしていた私はこの言葉に出会い、強く刺さった。何を学べばいいかも分からないまま、がむしゃらに本を読み漁り、ネットを漁り、とにかく情報を集めた。
あれから20年以上が経つ。
今も、その言葉は頭にある。ただ、意味が変わった。
この記事は、ジュニアサッカーの子どもに関わる保護者の方に向けて書いています。「子どもを教える大人が、何を学んでいるか」という視点を、一緒に考えてもらえたらと思います。
同じ言葉に、違う答えを出した人がいた
あの頃、同じ言葉に感銘を受けた人がいた。私が所属していたチームの代表だ。
その人もサッカーの勉強を続けた。今では、サッカーのことならなんでも答えてくれる。戦術、フォーメーション、トレーニングの設計。その知識量は本物だ。
ある時、その代表がこう言った。
「サッカーの戦い方に答えはない。あるのは完成度だ」
その言葉も、刺さった。今でも覚えている。
ただ、今の私は少し違う場所に立っている。
我々が学ぶべきは、サッカーではないかもしれない
プロチームの監督と、ジュニアのコーチは違う。
プロの選手はサッカーを職業として選んだ大人だ。監督が戦術を突き詰めることは、当然の責任といえる。
しかし、ジュニアのコーチが向き合っているのは、サッカーを選んだわけでも、プロを目指すと決めたわけでもない子どもたちだ。好きかどうかも、まだわからない。続けるかどうかも、これから決まる。
そう考えた時、私の中に一つの問いが生まれた。
私が学び続けるべきは、サッカーではなく「子ども」ではないか。
これが、代表との大きな分かれ道だったと思っている。
「子ども」という教科は存在しない
サッカーには教科書がある。戦術書がある。指導者ライセンスの研修もある。
しかし「子ども」という教科はない。
発達心理学の本を読んでも、目の前の子どもがそのまま当てはまるわけではない。コーチング理論を学んでも、うまくいかないことの方が多い。子どもは一人ひとり違う。同じ言葉が、ある子には届き、別の子には届かない。
だから、学び方も人それぞれだと思っている。
私は今、信頼できるコーチ仲間と情報を共有し、方向性を確認し合いながら、最終的な判断は自分でする、というやり方を続けている。答えを誰かに教えてもらうのではなく、考え続けることを選んでいる。
答えを探して、子どもに当てはめる大人にはなりたくない
「サッカーの戦い方に答えはない。あるのは完成度だ」
この言葉は今も好きだ。ただ、子どもの育ちに置き換えると、少し違う気がしている。
子どもの育て方にも、答えはない。そして、完成度という概念も当てはまらないと思う。
子どもは目標に向けて仕上げていくものではない。今この瞬間も、すでに何かを感じ、考え、変化している存在だ。
だから怖いのは、「これが正解だ」という答えを見つけた時だ。答えを持った瞬間、人はその答えに子どもを当てはめようとする。見えているのは子どもではなく、自分の答えになってしまう。
指導者として、そうはなりたくない。保護者としても、そうはなりたくないと思っている。
隣で見ていたあのコーチのことを思い出す。長年の経験と自信が、「答え」になってしまった時、人は目の前の子どもではなく、自分の答えを見るようになるのかもしれない。それが怖い。
(関連:息子の試合で隣にいたコーチの怒鳴り声が、ずっと頭から離れない)
エメ・ジャケの言葉は、今も生きている
「学ぶことをやめたら、教えることをやめなければならない」
20年以上前に出会ったこの言葉は、今も私の中にある。
ただ今の私にとって、「学ぶ」の中身が変わった。サッカーを学ぶことより、目の前の子どもを学ぶこと。昨日と今日で、何が変わったか。何に反応したか。何を嫌がっていたか。
それを見続けることが、私の学びになっている。
答えは出さない。ただ、考えることをやめない。それだけは続けていこうと思っている。
まとめ
この記事で伝えたかったことを整理します。
子どもに関わる大人が「何を学んでいるか」は、子どもの経験に直接影響します。サッカーの知識が豊富なコーチが、必ずしも子どもにとって良い環境をつくれるとは限りません。
私自身、答えを探し続けた時期がありました。ただ今は、答えを出すより考え続けることの方が大切だと感じています。
「答えを探して、子どもに当てはめる」ではなく、「子どもを見て、考え続ける」。その姿勢を持つ大人が、子どものそばにいるかどうか。
保護者として、お子さんの関わるチームの大人を見る時、少し違う角度から見てもらえるきっかけになれば嬉しいです。
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