このブログでは、子どものサッカーや子育てについて書いています。今回はまた少し脇道にそれて、私がずっと大切にしてきた、ある見方についての話をさせてください。人を見る、子どもを見るということの、根っこにある話です。
始まりは、中学生の頃に読んだ、一冊の本でした。
歯医者の待合室で読んだ本
中学生の頃、通っていた歯医者の待ち時間に、置いてあった本を何気なく手に取りました。
その本には、様々な人種の人たちが載っていました。黒人、白人、黄色人、他にもいろいろな人たちがいて、それぞれの外見的な特徴が書かれていました。
でも、私が今でも覚えているのは、その次のページです。
色のついた皮膚を剥いだ図が描かれていて、こう書いてありました。肌の色が違っても、その下にある筋肉は、みんな同じなのだ、と。
黒人も、白人も、黄色人も、皮膚の一枚下は、同じ人間の体をしている。当たり前のことかもしれません。でも、中学生の私には、その図が強く印象に残りました。
見た目は違っても、奥にあるものは同じ。この感覚が、その後の私の、人の見方の土台になったように思います。
ブラジルで、笑顔に出会った
大人になって、私はブラジルに行きました。
肌の色も、言葉も、文化も違う人たちの中で暮らしました。そこで改めて感じたのは、外国の人たちの笑顔が、本当に素敵だということでした。
言葉が通じなくても、笑顔は通じます。肌の色が違っても、笑った顔から伝わってくる温かさは、同じでした。あの歯医者の本で見た「奥にあるものは同じ」を、体で実感したような気がします。
見た目や言葉の違いの奥に、同じ人間の心がある。ブラジルでの日々は、それを教えてくれました。
帰国して、気づいたこと
ところが、日本に帰ってきて、少し違うことに気づきました。
日本人は、表情筋が弱いのかもしれない。笑顔が、少ないかもしれない。そう感じたのです。
ブラジルの豊かな表情を見てきた後だったからこそ、気づいたことでした。決して、日本人が冷たいという話ではありません。ただ、表情という形で感情を外に出すことが、文化的に少ないのかもしれない、と感じました。
でも、面白いことがあります。普段は表情が少ない人でも、笑うと、やっぱり素敵なのです。
表情が少ないからといって、心が動いていないわけではない。笑顔が少ないだけで、その奥には、ちゃんと温かいものがある。笑った瞬間に、それが見える。そういう場面に、日本でもたくさん出会いました。
やはり、奥にあるものは同じなのです。
表情の少ない子どもたち
この見方は、今の私の指導に、はっきりとつながっています。
私は、発達に特性のある子どもたちと関わる活動もしてきました。その中には、表情があまり変わらない子が、一定数います。
以前の私なら、表情が動かないその子を見て、「楽しくないのかな」「乗り気じゃないのかな」と思ったかもしれません。
でも、私はこの「表情の奥を見る」というアンテナが、少し強いのだと思います。だから、その子の小さな変化に気づけます。ほんのわずかに口元が緩んだ。目の動きが変わった。その小さなサインから、「あ、この子、今笑っているかもしれない」「楽しんでいるかもしれない」と思えるようになりました。
表情が少ないことと、心が動いていないことは、まったく別です。肌の色が違っても筋肉が同じであるように、表情の出方が違っても、その奥にある気持ちは、同じなのです。
見た目の奥にあるものを見る
振り返ると、中学生の頃に歯医者で読んだあの本から、私はずっと同じことを大切にしてきたのだと思います。
見た目の違いの奥にある、同じもの。肌の色、表情、特性。表面は一人ひとり違います。でも、その奥には、同じ人間の心があります。
サッカーの指導でも、これは同じです。子どもたちは、一人ひとり違います。上手い子、そうでない子、明るい子、おとなしい子。でも、その違いの奥には、同じように「楽しみたい」「認められたい」「うまくなりたい」という気持ちがあります。
その奥にあるものを見ようとすること。それが、一人ひとりを対等な人として見る、ということなのだと思っています。
おわりに
肌の色が違っても、筋肉は同じ。中学生の頃に出会ったその言葉は、今も私の中にあります。
見た目が違っても、表情の出方が違っても、その奥にあるものは同じ。だから、表面の違いで人を判断せず、奥にある気持ちを見ようとする。それが、私が子どもたちと関わる時に、一番大切にしていることです。
お子さんの表情が乏しく見える時も、心配しすぎないでください。表情の奥で、その子の心はちゃんと動いています。その小さなサインに気づいてあげられるのは、一番近くにいるあなたです。
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